就職について
就職者インタビュー
「ありがたいな」って気持ちで働けて、
それで今を生きていける。
人生の終盤になって色んなご褒美を頂ける
というのは、非常にありがたいです。
- 坂 高志さん(65歳)
札幌キャリアセンター 在籍9ヶ月
身体障害
Bコース(office)
坂さんは、64歳の時に札幌キャリアセンターで訓練を始めました。それまではパソコンにほとんど触れたことがなく、自分には向いていない、興味もないと思っていたそうです。
しかし、今後も働いていくためには基本的なパソコン技術が必要だと思い、新しい世界に飛び込みましたが、訓練中は苦労や努力の連続だったそうです。
坂さんの病気や障害についてと、センターを利用するまでの職歴を教えてください
癌になります。直腸がんからの移転で肝臓がん。直腸の一部分を切断しましたので人工肛門をつけています。週1回通院をしていて、身体障害者手帳4級を持っています。
仕事は、今までに何度も転職していますね。
最初は書店、そこから損害保険の代理店を目指して勉強し保険の販売をしました。その後は荷物の宅配便のドライバーや工場で勤務して、それから引越センターです。
引越センターで勤務して9年目、60歳くらいの時に発病をしまして、発病した段階で下血とかが出たので、ギリギリまで頑張ったんですが体力が続かず、すぐ休職になりました。
その引越センターは、若い人ばかりで勢いも良く、面白い奴ばかりで。俗にいうやんちゃな人間もいたもんですから、ワーワーと楽しくて。今思っても、楽しい思い出しかないです。
今でも夢に見るんですよね笑
そこからITに強い就労移行に通うきっかけは何だったのですか?
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女房が「もういい歳だし、癌が治ったとしても肉体労働なんて出来ないと思うから、パソコンを使えるようになっておいたら?」って言って、「そうだなあ」って思って。
もともと敬遠していたんですね、僕には向かないと。不器用だし興味もないし。でもまだまだ働かなくてはいけないし。それで色々調べているうちにフロンティアリンクを見つけて、お世話になろうと。
その先の就職は全く思い浮かばなかったですね。イメージとしてはパソコン教室という感じで見学に行きまして。でも、話を聞いてみて「スキルを身につけて就職なんだ、就職の為のスキルアップなんだ」と思い知って...気持ちとギャップがあったんですけれど、自分も「パソコンが出来るようになってネットを見られるようになって終わり」ということはきっとないだろうなと思って、センターに通わせていただくことになりました。
センターでの訓練はどうでしたか?
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はい、本当に基礎から、マウスの持ち方からですね。
最初の頃、モニターに講義が出るじゃないですか、全然チンプンカンプンで。それを見て時間になったので帰る。「はぁ...うん??」という感じで帰っていく。でも、少しずつ、ちょっとずつですけれど、何か覚えて帰っていくという状況でしたね。
知識が定着しないんですね。見てても「なるほど」と思ってその時はうろ覚えで出来るんですけれども、家に帰ってパソコンの前に行くと「どうだったかなあ?」と思って。
まあ、知識が定着しない笑
いったいどれくらいスタッフに同じことを聞いているのかと思ってしまうくらいに、何度も同じことを聞いていた記憶がありますね。
パソコンを学ぶこと自体、大きなチャレンジだったんですね
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そうですね。とにかくパソコンを使えないとかなり不便な世の中になっていますから。
結果的には大正解でした。よかったなと思います。
言うほどは出来ませんけど笑
それでも諦めずに続けていく為の工夫や努力は何だったんでしょうか?
家に帰ってから、資格を持っている方のサイトを見て分からないところを調べてみるとか。そういうことは結構やっていましたね。
本当に少しずつですが、3歩進んで2歩下がるみたいな勉強でしたけれども、やっぱり少しずつ分かっていけば面白みが増していくということが今回改めて分かりましたので、何とか諦めないでずっとやっていました。
あと、スタッフのサポートが大事だと思いますね。背中を押してくれないと、僕なんて特に。「はいどうぞ、これやって」じゃなくて、「どうですか?」と色々聞いて頂いたので。スタッフに背中を押して頂いたことは一番大きいなと思います。
ここを出ていくまでに目標としていたことはありますか?
タイピングとExcelの基礎、四則演算が出来るようになりたいなと思っていました。本当に基礎でいいから。
面接でどれくらい出来ますか?と聞かれた時に「基礎は出来ますよ」と言えるくらいになりたいなと思っていました。
就職してから一番役に立ったと思ったことを教えてください
性格的なものもあるのですが、雑な人間なので、タイピングにしても表作成にしても「そこまで気にしなくてはいけないの?」と思うことが多く。例えば、線の太さや字の大きさとか。
でも、ある程度人に見せる文章や資料になると、やっぱりそこまでしなきゃいけないということは今では分かります。細かいところや正確さが本当に必要なんだと。
他の人が見るという前提のもとで作成しなくてはいけない、ということを教わりました。
早さよりも正確さが大切とスタッフに面談のたびに言われていましたが、仕事を始めたら改めてそれが分かりました。
一度、就職先で「ここまできっちりとやってくれたんだ」と言われたことがありまして、嬉しかったです。褒められると嬉しいですね。
本格的に就職活動が始まると、パソコン技術は就職の為のひとつのスキルでしかないと痛感。就職活動に必要な書類作成や面接練習が非常に大切なことにも気づき、苦戦しながらもスタッフと一緒に取り組んでいったそうです。
センターに休まず通うということについて工夫や努力はされましたか?
僕は週3~4日で4時間くらい、家も近いですから。
何かを覚えるのに、それくらいの負担をつらいとかは言ってられない。何か新しいことを、この歳で覚えるのは大変だということは、どこかで覚悟していましたし。
ほとんど行きたくないとか思ったことはなかったですね。学びたいと楽しいと半分半分ですね。自分にとって全く全く異質なこんな世界で、パソコンを知るという全く想像だにしなかった世界で、少しずつ本当に1ミリずつ面白いことが分かってきましたので。
センターでの一番の思い出は何でしょうか?
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思い出と聞かれ、最初にピンと来たのが、センターに通い始めて2日目に、暑くて短パンで行ったんですね。その時、スタッフに「坂さん、今度来る時は短パンではなく、普通のズボンで来てください」と言われまして、「え?」と思いました。
「あくまでここは就職の為の学びの場で、短パンはふさわしくない」とはっきりとは言われませんでしたが、そんな感じの事を言われて・・・
「そうだよね。考えてみても、教わろうっていう人間が短パンっていうのは違う。パソコン教室に行くっていう意識だな」と思って、その考え方は変えないといけないと思ったことが、先ず思い出されます。
予想もしていなかったですね。もう少し気楽な気持ちで通い始めたと思うんです、今思うと。上手くなればいいかなとか、物珍しいとか、PCを目の前にすること自体ワクワクするっていうか、ちょっと浮かれていた部分もあります。そこで言われたので、すごく覚えています。
センターがパソコン教室ではなく、先には就職があるんだということを強く意識し始めたのはいつ頃ですか?
スタッフと一緒に、障害者求人紹介のセンターに行き、そのセンターの担当の方にお会いして説明を受けた時に、「最後に就職ありきなんだな」と、ものすごく感じましたね。それからも、ハローワークにスタッフと一緒に行ったりとか、実際に「就職するんだ」という動きが出てきた時に、「パソコン技術は、就職の為のスキルなんだな」と感じました。
となってくると、パソコンはやっていけば少しずつ覚えるかもしれないけれど、面接はどうだろう?今までしっかりとした面接を受けたことはないし、気楽な面談で決まるとか、他の人からの紹介だったもので、面接は覚えていかないといけないなと感じました。
就職活動の中で、一番苦労されたのは面接だったのですね
まずは履歴書/職務経歴書作りで苦労しました。僕は転職が多いものですから、職歴を色々と書かなくてはいけないもので。面接官が見た時に、簡潔で心に訴えかけるものを作らなくてはいけない。
スタッフに添削して頂いて、ダメ出しも頂いて作りました。大変でした、正直言って。
こういうものを今まで作ったこともないですし、履歴書の書き方のいろはのいから教えてもらいました。大変でしたね。これが「就職活動」なのかなと思いました。
正直言って「これでもういいんじゃないですか」っていう気持ちで提出したら、スタッフが「ダメダメ、まだまだ」って感じだったから、「はい」って言ってまた考えて作ってという感じでした。
応募先を決める際に、これは絶対に妥協できないなということはありましたか?
人工肛門なので、頻繁にトイレに行って処理しなくてはいけないんですけれど、行きたい時にトイレに行けない、何時間も席を外せない、どうしても我慢できない時に「また行くの?」とか言われる仕事だけはしたくないなと思いました。人間として否定されているみたいで。配慮のない発言がまかり通るような、出るような職場だけは絶対に行きたくないなと。
他のことは、60歳まで生きてきたら色々なかわし方とか自分で分かっていますから。よほどでない限りはしのげると思いました。
ダメもとで受けた求人の書類選考が通った時に、つい言ってしまった言葉。「そんなひねくれた考えをしていたら絶対に受かんないわ」と家族に怒られ、自分の考え方を反省。今まで以上に努力し、面接に臨んだそうです。
何社くらい受けられましたか?
三社、落ちましたね。
就職できた職場は、ハローワークの求人で見つけました。「こんなの無理でしょう」と思ったんですが、担当の方が「坂さん、これ空いていますよ」と言ってくれて、「冗談でしょ?受かるわけないでしょ?」と思いながら応募しました。
本当に、もう月並みですけれども、「やってみなければ分からない」っていうか、「無理無理」じゃなくて「ダメもと」でやるのは本当に大切だなって。どこで逆転があるか分からないと本当に思いますね、つくづくと。
なかなか大変だった就職活動を乗り切れたのはどうしてでしょうか?
あるきっかけですね。
書類選考合格の通知が来たんですが、その時に女房と話をしていて、なんかひねくれたこと言っちゃったんですよね。「障害者雇用って、書類選考で多めに合格させて面接でぐっと絞り込むんじゃないか」と。要するに、「門戸は開いていますよ」ってポーズを見せて面接でほとんど落とすんじゃないかと話したんですよ。
そうしたら、女房に「そんなひねくれた考えをしていたら絶対受かんないわ」って怒られて、「ああ、ちょっと俺、間違ってるな」と思いました。
ここまで自分なりに頑張ってきたのに、捨て鉢な発言をしてちょっと恥ずかしかったですね。だから、「じゃあ、やってみよう」という気持ちで、スタッフの言うこと聞いて、あとは面接だけだからかっちりやろうと。それでダメだったとしても、それはそれでという感じで。
今でもたまに、「あの時の一言だね、受かったのは」と女房に言われます。ガツンと言うタイプじゃないんですが、よっぽど呆れたんでしょうね笑
その後の面接練習は大変でしたか?
面接のロールプレイングは、一番楽しい思い出です。
ギリギリまでスタッフにお付き合いして頂いたんですよね。色々と思い出します。照れくさいということは全然なくて、割とその気になってやった記憶があります。
家に帰っても暗記しなくてはいけないことがあって、こう質問されたらこう答えようとか、応酬話法。プリントアウトしたものをブツブツブツブツ言って暗記をしたり、学生時代の試験勉強前のような感じでした。
面接前日も女房を面接官役にして、テーブルの前で「よろしくお願いします」という感じでやった記憶がありますね。
実際の面接はどうでしたか?
「早く終わりたいな」という気持ちと、「60歳過ぎてここまでやったんだもん」という気持ち。結果はどうでもいい。あとはとにかく解放されたい。
面接も和気あいあいとした雰囲気でしたし、自分では手ごたえがあったし、やり切ったなという思いで家に帰った記憶がありますね。
採用連絡が届いた時はどうでしたか?
正直、「やっぱり」という感じが強かったです。傲慢でいやらしいと思われるかもしれませんが、かなり好感触だったので、合格はあり得るなと思っていました。
こういう仕事は初めてなので、これからの事が全く想像出来なかったのですが、様子を見てからだなという感じで不安はあまりなく、興味津々な気持ちで入社初日を迎えました
就職された職場はどんな職場でしょうか。またどんなお仕事をされていますか?
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公的機関での補助業務です。職員の皆さんの業務の補助。コピーを取ったり文章を作成したり、郵送準備の作業ですね。9時から17時半までで、毎週1日は治療に行くので、週4日勤務です。
当然、僕より若い人ばかりですから、僕が最年長です。みんな若くて活きがいいですから、楽しいんですよね。言葉遣いも皆丁寧で、紳士淑女ばっかりなものですから、カチンとくることもない。そこまで丁寧じゃなくてもいいのにと思うくらいソフトです。
僕は皆さんの業務補助っていう立ち位置ですので「どんどん依頼して下さい」と思っていて、いい感じで仕事させてもらっています。
体の負担もないし、人間関係も抜群だし、仕事も難しくない。有休もきっちりあるし、本当に、出来るだけずっと働きたい職場です。
就職してからの生活はどうですか、大きく変わりましたか?
朝4時半に起きて、ストレッチや軽い筋トレをやって、朝食やお弁当の用意をして、朝食を摂ってまた寝るんです、6時半くらいに。また7時45分に起きて色々準備をして出発します。
職場までは夏は自転車で、冬は徒歩で30分。ずっとデスクワークで座りっぱなしなもんで、やっぱり行き帰りに動かないと衰えもあるし、ちょうどいい距離ですね。
早朝に起きてストレッチと筋トレをしてるんですか!
20年くらい続けてます。
やっぱりケガしたくないですもんね。怪我したらもう自分で自分の身の回りの事をできなくなるじゃないですか。それは嫌なもんで、少しでもやっています。やらないと、夜になるとなんかダルい。やって当たり前の身体になっています。
仕事をまた始めて良かったと思うことはありますか?
規則正しい生活ですね。
病気のせいもあるんでしょうが、結構、土日に「なんか調子悪いな」って日があるんですね。その時に明日ちょっと行くの辛いかな?って思っても、次の日はいつも通り朝4時半に起きるんです。そうすると「仕事モード」になっていくんですよね。家のダラダラした素の顔から、社会人の顔、出勤するモードに。朝の時間で自分を仕上げていく。
グタッという感じで出勤して、「坂さんどうしたの?」と聞かれるのが結構嫌なものですから。
もし仕事をしていないと、誰にも「シャンとしなきゃ!」と言われないで一日が終わってしまう。そして、それの繰り返しでメリハリのない生活になると思うとゾッとしますね。「今日何曜日だっけ?」という話をしていたら、やっぱりちょっとまずいなと思います。
そういう意味で、仕事に行くことは生活にメリハリがついて、お金も頂けて何よりです。
職場には、障害についてどのように伝えましたか?
初日に、「障害の事を言っていいんですか?」と所属長から聞かれて、「全部言ってください」と答えました。僕の障害は排せつだけですから。周りは当然知っているわけですから、隠すと周りにも変に気を使わせてしまう。自分が言わないってことは言われて欲しくないのだなって思われる。そういう気づかいをされるとちょっとギスギスします。
本当に人工肛門ですし、「自分はこうなんです」ってオープンに言った方が楽なのかな。言える方と言えない方がいるとは思うんですけれど、「私はこうなんです」でいいんじゃないかなと思っています。この歳になったら、いずれ皆が障害とか病気になって衰えていくんですから。この歳だから言えるんですね笑
トイレの事も、隣の人に「トイレ行く時に一応声を掛けます」というと「声かけなくていいから、行きたい時に行って」と言われました。
これから就職を目指す方に、アドバイスできることがありましたらお願いします
月並みですが、一歩踏み出して直接ぶつかってみれば、トライしてみれば、結構開ける扉はあるんだなというのを実感しました。踏み出す前に躊躇するのは、やっぱりもったいないなと思うんですよね。
この歳だから言えるのかな。私の場合は、心も肉厚になっています。叩かれても結構平気になっていますから、若い人にはそんなにアドバイスとかできないんですけれども...
ダメだったら、「えへへ」で済ましてしまう部分も必要かなと思うんですよね。ダメだったら、執着しないで、次にぱっと方向転換しての方が良いんじゃないかと思います。
一歩を踏み出さないと、どうしてもマイナスの事を考えがちになりますので、とりあえず踏み出してみて、跳ね返されたら次の方向って感じで行くしかないんじゃないかと思うんですよ。
あと、小さい成功の積み重ねが自信になると思うんです。だから、本当に小さいことでもいいから、身につけるとか出来るようになれば、やっぱり自信になっていきます。
色々と話を聞かせていただきありがとうございました。これからもお仕事頑張ってください
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人生の終盤になって、結構色々なご褒美を頂けるというのは、非常にありがたい話です。本当にありがたいですよ。
「終わり良ければ総て良し」はご存知の通り。就職したのも良かった、65歳になって暮らせているっていうのはやっぱりありがたいですよね。同じ働くのであれば「ありがたいな」って気持ちで働けて、それで今を生きていけるっていうのが。
本当にスタッフや色々な方々の力を借りて。一人じゃ絶対出来ないですからね。絶対、ここまで来られないし。
皆さんに背中を押してもらったり、色んなこと教えてもらったりして、やっぱりご褒美でしょうね。ありがとうございます。